鬼の心

鬼とは私の母のことです。
とにかく小学校までは鬼でした。
子供心に、本当の子ではないと思っていましたから。
毎日、ピアノの前に表があり、○×△とチェックが入れられます。
母親は殆ど、隣につきっきりで、
上手く弾けないと、つねられたり、髪を引っ張られたりしました。
引っ張られるのが嫌で、小学校3年生のとき髪を切りましたが
子供の浅はかさ(笑)今度は毛をむしられ、前より痛かったです。
小学校2年生のとき、
今でもありありと思うことがあります。
ついに練習が嫌で反抗したら、
窓から捨てられました!
それも冬。
雪が窓のすぐ下まで積もっていて、
部屋着のまま雪の中に私は埋まってしまいました。
泣きながら雪の中から這い出して、
玄関の前で
「開けてー!!!開けてー!!!ちゃんとピアノ練習するから!」
と泣き叫んだのを覚えています。
恐怖と寒さでおしっこが足に垂れていく感覚は
今でも忘れることが出来ません。
やっと入れてもらい、許してもらいました。
そのとき、両親は
「お風呂沸かせ!そろそろ家に入れなくては風邪ひく!」
とパニックになっていたのを知ったのはずっと後のことでした。
それで、風邪をひき熱があるのに、
「ピアノを練習しなければ…」と私がうわごとのように
言っていたとき
母は涙が止まらなかったと、
私が大人になってから教えてくれました。
小学校6年生のときレッスンを続けて休んだのがきっかけで
私はピアノを止めてしまいました。
先生に対する反抗心もありました。
先生の人間性が嫌いでした。
母もお月謝も高かったし、
今まで私のために頑張ってきたので少し気が
緩んだのかもしれません。
何も言いませんでした・・・・・。
私は絶対ピアノは弾かないと心に決め、
ヴァイオリンを習い始めました。
幸い、中学でオーケストラクラブがあり、
コンサートも盛んでした。
でも、いくら練習しても始めたのが遅く、上手くいきません。
本当はどこかでやはりピアノのほうが良いと
私自身思っていたと思います。
あるとき私が家に帰ると、母の友人の子供(高校生ぐらい)が
私のピアノを弾いていました。
私は生まれて初めて他人を怒鳴り散らしました
「ワタシのピアノに触らないで!!」
きっとそのとき、母は私の心の奥にある叫びを
聞いてくれたのだと思います。
私が怒鳴ってしまったその人にこの場を借りて謝りたいです。
ずっと謝りたかったけど、誰かわからないので。
「ごめんなさい!お陰でピアノ続けています」
その後、学校から帰ると、「二階にいいものがあるよ」と言われ、
上がってみると、なんとグランドピアノG2がありました。
当時、大学生でもアップライトの時代。
勿論ピアノの先生でも、
グランドを持っている人は少なく、私の先生でもG3でした。
私は今までの決心何もかも忘れ、弾きつづけました。
後から、母に聞くと、「人生で大きな賭けだった」と言われました。
私は心うきうきで、「ピアノ頑張ってやります」宣言をしたのですが、
思いも寄らない母の言葉に愕然としました!
「前と同じ先生でなくてはいけない!」
リセットして新しい気持ちでやりたかったので、
私にとっては絶対に嫌なことでした。
母と父は琴と尺八の師範で(父は建築業です)
習い事というものはどういうことかよく知っていたのでした。
「心を曲げても真を曲げてはいけない」そう教えられ、
(その時意味わからるわけありません)
しぶしぶ一緒に前の先生にお願いに行きました。
案の定
「他の先生に行って、やっぱり私がいいからまた来たのね!」
などと、ぐちゃぐちゃ言われました。
悔しくて、絶対に上手になってやると心に決心しましたよ。
それから私の地獄の日々が始まったのですが、
その話は長くなるのでまた別の機会にします。
とにかく今考えてみると、
違う先生に行かなくてよかったのです。
私の人生において先生への汚点はありませんから。
それに、逃げないことが自分自身に誇りを持つようになりました。
今でも母には頭が上がりません。
今、私があるのは全て母のおかげなのです。
親って大事なのですね。
勿論、辞め方にも色々よりますが、私のまわりで、
先生を変えて、ピアノの道で成功した人は見たことがありません。
他の先生も同じことをおっしゃっています。
やはりピアノはただ上手になるという目的ではなく、
人間として、人の道として、
心を勉強する「お習いごと」なのです。
だからこそ母はそのことをきちんと知っていたのだと
今になって分かる私でした。
鬼親ではなく、魂親ですね。

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