カテゴリー別アーカイブ: エピソード

ご無沙汰しました!!!

昨年の夏から母が手術をし、入院生活が長かったために歩けなくなり、、老健施設でリハビリをして、やはり無理ということで介護専用の有料老人ホームに入るなどと大変忙しく過ごしていました。
また主人の母も12月末に101歳で他界致しました。
12月末に老人ホームに入ったのですが、、父も母がいないと寂しいということで一緒に入りましたが・・・最短記録??1週間で値を上げて出て来てしまいました(笑)。有料ですから・・どれだけお金が・・・・。
父は97歳ですが、国体の選手だったせいか、丈夫なのです。ただ耳があまり聞こえないだけなので・・。
母の介護にも疲れ果ててしまった様です(無理無理と言っていたのですが、1ヶ月で帰ると妹と話していたのですが(笑)

私は長女なので書類や私がやらなくてはいけないので・・ピアノ関係が全てが止まってしまいました。
やっと落ち着きましたので、これから活動致します。

今年もいろいろ楽しみにして下さい!!

習慣

少し早く千歳空港に来たので、今ラウンジで2時間のんびり。
習慣について少し書きますね。
日本は縦長な土地なので、気候によって人間の性格も多少変わってくると思います。
私が育った北海道の冬はやはり寒い!
昔、信号待ちしていて、長靴から足が氷の様に冷たくなり、足踏みをしていまのを思い出します。
また吐く息が煙の様になり子供心に面白かったですね。
ですから今でも玄関の前には・・フウジョウ室と呼ばれる外の玄関があります。
窓も3重です。
今でもほとんどの人はオーバーを着て家に入り、部屋に入る前に脱ぎますが
部屋(レッスン室)にまでオーバーを来て入り、部屋でオーバー脱ぎ部屋に置く人もいます。
帰るときもレッスン室でオーバーを着ます・・・・・。
私でも部屋に入る前には脱ぎます。
さすがに私は小学高学年からは注意しますが・・・・・。
そのように北海道の人が東京にいくといろいろ失敗する事がありますよ。
北海道で通用する事が東京で通用しない事、それに加えて時間の事は私は特に大切にしています。
井口基成先生のレッスンを受ける日に最初にする事が時計合わせ。
家には何があっても良い様に30分〜45分前には着く様に行く。
近くの喫茶店や外の公園などで時間をつぶし(この時間が将来、気持ちのコントロールなどに役に立ちましたよ)
先生の家の前で(冬ならコートは脱ぎます)時報とともにチャイムを鳴らして入りました。
時間は正確に!!!このときに身に付きましたね。当たり前な事でも・・・北海道は外でコートは脱ぎません。
だいたい私は予定より早く行ってしまうので・・逆に迷惑かな?(笑)
いつも一番乗りが私です。
人間関係において時間を守るのは一番大切な事と思います。
私たちは仕事柄、時間を守ったり、守らないと大変困ります。
時間にルーズな人は最終的に大成しない人が多いと思います。
それは子供のときから習慣にしないと、大人になっては辛いかも・・・。
私の信頼する相手のバロメータは時間を守る人、気配り出来る人、
自分の気持ちをしっかり言葉にして伝えられる人です。
子供達が最初に学ぶのが時間を守ることだと思います。
これは親の影響が大かもしれませんね・・・。
「ならいごと」・・・この意味はピアノが上手くなるというより
礼儀の学ぶところでもあると私は思っています。
幼いときに身に付いた良い習慣は大変将来楽です。(ピアノの奏法も同じですが・・・。)
あっ搭乗時間です・・・また。

コンクールの採点

昨日あるコンクールの本選審査をしました。
むろん私の生徒も何名か参加しまして、コメントと採点を見せていただきましたが・・・。
私の採点が一番低い・・・。(笑)
まあほとんどのコンクールは上下カット方式をとっていますので、一人が良い点をつけても
悪い点をつけても影響はないのです。
また点数だけ見てしまうと、この先生は低い点とは一概に言えません。
その先生の最高点が85点の80点かもしれませんし、最高点98点の88点かもしれません。
となると88点の方が点が低い事になります。
私は採点を参加者に渡すときその先生の平均点を知らせた方が良いと言っているのですが・・・・。
ですから点数だけを見ての判断は危険かも知れませんね。
私はいつも点が低くつけるのではなく、良いと思ったら高い点を付けますよ。
ではどんな演奏が良いのか・・・難しい問題ですが・・・・。
一言で言うなら、やはり心が伝わる音楽をしている・・・でしょうね。

愛読書

私の愛読書は 宮本武蔵の「五輪の書」
ジョゼフ・キャンベルの「神話の力」「神話のイメージ」
ウオールデンの「森の生活」 が私のベスト3です。
今日は宮本武蔵の五輪の書について書きます。
私の好きだった「ブルース・リー」の愛読書で、私も読み始めました。
最初は何度読んでもよくわからず・・。何年も何度も読むうち
少し理解できるようになりました。
これは武士道について書いてあるのですが私にとって
ピアノと人生に通じるものがあります。
地の書、水の書、火の書、風の書、空の書からなり宮本武蔵の経験が書かれています。
めちゃめちゃ簡単に言うと・・・・。
「地の書」は自分を勝利導くための基本。
万事に備えること・・ピアノにもあてはまりますね。十分に練習して、よく考えること。
いろいろな教え・・例えば9つの教えとか書かれています。
「水の書」は、水は形自由でも中身は変わらない。心を水のようにする。
日常でも戦場(コンクールなどかな?)でも心構えは常に同じで物事に動じない心。
「火の書」は 火は小さくても大きくても激しい勢いを持つ。
戦場で命をかけて戦うのは炎であり、その中でシビアに現状をみる力。
動揺しない心。
「風の書」他人を知って自分を知る。少しのヒントも自分の為にしていく。
「空の書」空とは形がなく見るもの。
空は何もないことだが、そのものがあることを知ってそのものがないことを知る。
自分の心に曇りがない状態。その為に自分をきたえてから自分の心を空にする。
もっといろいろなことが書かれていますが、1ことで言うとこんな感じです。
難しい日本語?で書かれているので多少意味が違うかもしれませんが・・・。
でも武士道もピアノ道?もなんか似てるな~と思いますね。

コンクールでのアマとプロ

最近色々なコンクールでアマチュア部門が多く設置されるようになってきています。
この部門を審査するたびに、昔ある方が「プロの技術とアマの心」
と言っていたのを思い出します。(アマの心とは楽しむという事です)
「楽しむ」事は練習をすればするほど、忘れがちな言葉ですね。
実際アマチュア部門のコンクールでは本当に音楽が好きで
楽しんでいる方が多く、ほほえましく思っています。
でもコンクールですので一応評価をつけなくてはいけません。
私はアマだからプロだからと評価に差をつけることはしません。
(その結果私の点は他の先生より非常に低い点になってしまいます)
私の気持ちとしてアマだからと甘い点をつけるのは
相手を評価する以前に見下しているような気がするのです。
昔 連弾でお年を召した方の演奏で、何人かの審査の方が絶賛!?して
満点に近い点が出ました。
多少おぼつかない演奏でしたが、年輪が感じられ良いとは思いましたが、
???・・・でした。
それは・・・コンクールとは違うような・・???
もちろん アマチュア部門では他と違い・・・・などと点の付け方に
はっきり明記されているなら良いのですが・・・?
それでなければ、プロアマ関係なく評価してよいのではと思っています。
人それぞれですので、あくまで私の考えですよ。
もちろん、目が見えない方もコンクールに参加してきます。
良く頑張っていると感心しますが、それとこれは別でやはり
私は普通に点をつけます。
目が見えなくとも、上手いピアニストは多くいらっしゃいます。
私の周りにいるアマの方は厳しい評価を望み、上手くなりたい
という気持ちはプロとなんら変わることがない気がします。
私の「サプリ」がアマの方にも広まっているというお話を聞き
私の考えは間違いではないかも・・・と思っています。
でも私だけ点が低い「怖い先生」と思われてしまいますね(笑)
今のままで行こうと思いますので、点が低くても気にしないでくださいね。

「礼」

今日から少しの間、のんびりできそうです。
先日のお昼にピアノを辞めたけれど、音楽の仕事をしているAさん
(ブログに前書きました)に何十年ぶりに逢いました。
話がつきなく時間も忘れて話しましたよ。
昔話ではなく今の仕事のことや、
お互いの夢、自分のポリシーなど、師弟関係ではなく師師関係?
で話が膨らみました。(笑)
とても嬉しかったわ。
このように同じレベルで話が合うのは、
向いている方向が同じなのだと思いました。
ほとんどの人間はそれぞれの考え方、それぞれの生き方の中で
皆さん頑張って生きていますが
向いている方向が同じとは、感性が同じということだと思います。
私は大切にしている感性の一つに「礼」があります。
「礼をつくす」「礼に始まり礼に終わる」
彼女の中にそれが見えましたよ。
私は昔から「らしく」という言葉が好きでした。
親らしく、先生らしく、子供らしく・・・・・。
ですからそれぞれにあった「礼」があると思います。
人間多かれ少なかれ自分のしていることが正しいと思って生きているわけです。
(もちろん悪いところは直して生長していくのですが)
でも意外と「礼」が忘れ去られている気がします。
音楽は特に人に伝える仕事ですから、
人との関係も大切にしなければいけません。
大切とは優しくするとか、なんでも聞いてあげることではありません。
時には討論する(叱る?)こともあるでしょう。
「礼」は誰にでも尽くさなければいけないものだとおもいます。
でも意外と「礼」は気がつかないものです。
私たちピアノを指導する立場にある人たちは
ピアノだけではなく、人間としての大切なものを
教えなければいけないのだな~!と感じました。
そのためにも自分がまず出来なければ・・・・
私も努力していきたいと思いました。

二人の生徒

昨年の暮に二人の昔教えた生徒からメールが入りました。
実はそのことを、ずっと考えていたため 更新できませんでした
(言い訳?)
一人は音大に行くはずだったのに(私の後輩予定)高校2年で
ピアノをやめたAさん。
一人は努力し、何度も挫折しながら、
本当に頑張って音大に行ったBさん。
今Aさんは音楽の道で(クラシックとは少し違うけど)活躍し
Bさんは就職し、違う道で頑張っていました。
そして二人に共通なのは音楽が好きで
今とても充実していること、私にピアノを
習い学んだことへの感謝、何より自分に自信を持って生きていました。
特にBさんは毎日音楽を聴いている時が幸せと言っていました。
私はとてもうれしく、
またピアノを教えるとは本当は何なのだろう・・・・
と考えさせられる出来事でした。
音大に行ったからといって、その道のプロになるわけでもない。
大学は学生最後の場所で、社会に出る時、
どの道から歩きはじめるか決める所なのかもしれません。
ですから十分違う道を選択する可能性がありますよね。
いろいろな道でプロに成長していくことになるのですが
ではプロとは何なのだろう?
以前ある生徒に
「先生!いつになったらプロと呼ばれるようになるのですか?」
と聞かれたとき
「プロとは自分が決めることで、人が決めることではない」
と言った記憶があります。
プロとは自分を高めることであり、それを怠るとプロであったとしても
プロでなくなるのかもしれませんね。
それぞれの生き方のため
彼女達はピアノを習っていたのかもしれません。
道は違っても、
それぞれの道でプロとして頑張っている二人に
エールを送ります!

コンクールで思うこと

間があいてごめんなさい。
コンクールの審査等で多忙な毎日を過ごしていました。
コンクールが続く時期も一区切りつきましたね。
またこれからもたくさんのコンクールがありますが、
コンクールについて一言書かせて下さい。
何の為コンクールがあり、何の為に受けるか分かっていなければ
大変傷つくものだということですね。
記録と違って正しいジャッジはありません。
例えば、評価されている絵画などでも素人目には、
幼稚園児が描いたものと区別できないようなものもありますね。
そこまでではありませんが、自分が良いと思っても、
必ずしもそれに見合った結果が出るわけではありません。
それぞれの審査員方の基準があるようです。
正確に弾けることが大切、感性が大切、音の響きが大切、
先生方それぞれです。
また、ミスをしてしまうと、
とても点数を悪く付ける先生もいらっしゃいます。
ただ、誰が聞いても酷い演奏に上位の点数を付ける先生はいらっしゃいませんよ(笑)
審査員が変われば順位も変わる可能性があります。
実際「?」なこともあります。 
例えば、フランス人とポーランド人の先生に、
同じ曲のレッスンを受けても片方は「素晴らしい」とおっしゃっても、
片方は「よくない」と言われます。
ではどうしてコンクールを受けるのか?
コンクールの目的は、
自分を大勢の中に置いて、自分の欠点を知り、自分自身を見直す場所なのです。
順位は関係ありません。
自分を客観的に見て、足りないところを勉強する。
進むために必要な力を得るところなのです。
それと、人生思うようにいかないことを知るチャンスです(笑)
ですから皆さん、気楽にコンクールを受けましょう。
「審査員の先生方を勉強させる」くらいに思って頑張ってほしいです。
実際、コンクールに落ち続けて、高校生ぐらいから伸びていった人も多くいます。
コンクール一位でも、ピアノを辞めた人も多くいます。
コンクールはすべてではありません。
でも、コンクールの存在はとても大切です。
コンクールをおおいに活用していってほしいです。

小さな 心の恩人たち No.1


大阪から仕事で帰ってきたらイタリアで活躍している
あづさから留守電が、ありました。
4年ぶりに帰ってきたみたいで
私の好きな赤ワインとチーズを届けていてくれていました。
慌てて電話したけれど、明日帰るとのことでした。(涙)
今回会えなかったけど、心は通じてます。
電話を切ってから今年1月イタリアに会いに行ったのを
思い出しました。
ご両親が用意した、たくさんの日本食、お小遣いを持って。
4年ぶり会った彼女は大きく成長していました。
彼女は高校1~2年のとき、進学で迷っていました。
ピアノはまぁまぁ上手いけど第一線で活躍する程ではない。
彼女は歌が大好きで歌の道はどうなのだろうと私に相談に来たので、
歌を聴いてみると悪くない。
意外とピアノより良いかもと思い、とても良い先生に紹介しました。
その後彼女の辛い日々が始まったみたいです・・・
(行ったのが遅い!)
でも持ち前のガッツで、遅まきながらもみるみる上達して、
大学、大学院と進み演奏活動を中心に活躍していたのですが、
ある日突然、自分の可能性を試すべき海外へ行く決心をしました。
生徒も教え、演奏会も出ていたのに、何が彼女を変えたのか!
その時思いましたね。
やっぱりあづさは、私と同じだと!
昔、私は沢山の生徒を教えていました。
一人30分くらいのレッスンでコンクールにも
次々入賞するのです。(生徒がコンクールで賞を
受賞すると、不思議と上手い生徒が集まってくるのです)
彼らは一言二言のアドバイスで上手く弾いてしまいます。
その上、月3回のレッスンで十分なのです。
でも、そのとき思いました。
「本当にこれでいいのか」と
本当に良い先生とはコンクールで賞を取らせるのではなく、
下手な生徒を少しでも上手にさせることではないかと、
生徒を少人数制にして、
コンクールに落ちたり、上手く弾けない生徒を上手にしようと
決心しました。
10数年前の話です。
レッスンも以前言及したように、1日がかりでした。
でも、そのお陰で今のメソッドが完成したのです。
だからこそ私にも彼女のことが分かるのです。
[私もあづさも自分に正直で,自分を信じているのだと]
彼女も、1からのスタートだったけれど
イタリアで2人の先生につき、頑張っていました(8年前のことです)
その後、私もイタリアを訪れ、エールを送ったものでした。
苦労話はいっぱい聞きました
その後パルマの音大に進み今やコンサートに追われなかなか
日本に帰れないと言っていました。
久しぶりに会う彼女の目は輝き、
私はエネルギーをたくさん貰いました。
彼女もまた私と話して未来を見て進むことを
学んだと言ってくれました。
人はお互い影響しあって、
お互い成長していくのだとつくづく思いました。
きっとそれには人との相性とか、
信頼関係とかあるとは思いますが、
私はこの様な人達からいっぱい心の財産を貰っているのだ。
恩人だ、と思っています。
あづさのご両親も、ピアノの先生としての、私との関係がなくなって
10年以上経つのに、私の好物を持って来てくれるのです。
自家製の漬物(絶品です)や、手作り野菜を持って来て下さります。
なかなか出来る事ではないですよね。
感謝しております。
また持ってきてください(笑)

父の音色

父は尺八の大師範で、
その音色には定評があったようです。
軍隊時代も上官の尺八の先生として、
前線には行かされず、
おかげで命拾いしたという話を何度も聞きました。
父の母が病死したということを戦地で知らされた父は
2日間寝ないで、尺八を吹き続け、
それは軍隊仲間の伝説となったそうです。
中学3年生のときだったとおもいます。
父が吹く尺八の「秋の調べ」に心打たれて涙が止まらず、
ドアの前に座り込んで泣いた記憶があります。
生まれて初めて音楽での感動を父から教えてもらいました。
小学校3年生ぐらいに市民会館の杮落としに父が出ていて
(○○愛山)という名前でした。
私は客席を走り回って、転んで頭に怪我をし、
血を出して泣き、そのうえ母にも怒られ、
泣いていました(笑)
勿論父の演奏など聞いてもいません。
一度、ピアノと尺八でアンサンブルをしたことがありますが、
もう父の音は聞けません。
入れ歯になり、「もうだめだ」と父は吹いてくれません。
父に教えてもらい、音を出す程度ですが
吹けます。
ピアノとは使う筋肉が違いますが、
やはり大切なのは、筋肉です。
大学のとき、尺八を貰ったのですが、
乾燥で割ってしまいました。
何十万もする尺八なのに、父は怒らず、
「水に漬ければ吹ける」と言ってくれました。
今その割れた尺八はありませんが、
人間国宝の島原帆山氏が父のために選んでくれた
立派な尺八があります。
私が吹いてもよい音がしますよ。
楽器は人を選ばないけど、
使いこなすには、吹き手の(弾き手)
力が必要なのかもしれませんね。
父の音はもう聞けなくとも私の心にその音色が焼きつき、
私のピアノの音に確実に受け継がれていると思います。
音の美しさを皆さんに褒められることが多い私ですが
生徒達にも確実に受け継がれているのです。
私の音に対するレッスンはしつこいですからね(笑)
私の音の原点は、あの時の父の出した音を
再現しようとしているのかもしれません。