コンクールについて 1

 

コンクール

いろいろなコンクールが世の中、、いや日本にしましょう。いまたくさんありますね。
レベルによって審査は変わってきます。
レベルが低ければ、審査してもほぼ同じ結果になり、レベルが高いと少し割れ、、凄く高いと結構割れる場合もあります。

レベルが高いとしっかり弾けて当たり前、音楽性があって当たり前、、

では何が、例えばその演奏はモーツァルトではないとか、ショパンじゃないとかシューマンじゃないとか、、、?でも本当?、、昔は「ベートーヴェンは歌ってはいけない?で、とにかく正確に弾かなくては、、」と言った審査員がいた。またCDよりテンポが速いと「速すぎんだよ」と最低点をつけられた。でも、、今はもっと速くその曲を弾く。審査員が学んだ古い経験の中にある音楽像?で評価していくとだんだん点の基準があわなくなってくる。

例えばショパン国際コンクールを見ても審査も様々、、ましてや全員審査員が日本人が多いなら結果も違うでしょう。
ショパンコンクールで昔ポゴレリッチの審査に不満を抱き「彼は天才!」と審査をボイコットしたアルゲリッチ、、枯葉は有名なピアニストになりました。
同じコンクールてアシュケナージが2位を不満としてサインをボイコットして帰ったミケランジェロ。アシュケナージも凄いピアニストです。

私は審査が割れ、不本意なことがあるのは、レベルが高いコンクールになれば多くなるということもあります。

私は弟子には、音楽とは評価を超えるものであり、成長し続ける事である。コンクールは自分の挑戦であり、結果は自分へのスパイス。コンクールとは今の自分のレベルで受け続けるのではなく、前のコンクールから、成長した自分をさらに磨くために次のコンクールを受けなくては意味がないと。

コンクールの上にあるのは、
全ての聴き手が満点プラスワンをつけることだから。